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編集部が行ってみた!

郷土が誇る石垣の城

丸亀城散策記

主な登場人物

源九郎
まい
まいぷれ編集部の源九郎です。

ここ数年、ちょっと長く歩くとふくらはぎのケイレンを起こすことがしばしばだ。
しかし今回はふくらはぎだけでは無く、むこうずね、足の裏の順で膝から下全体がケイレンして慌ててしまった。

まい  「こぶら返りの宝石箱やな」
源九郎 「こむら返りやろ※!それに人の脚を海鮮丼みたいに言うな」※こぶら返りと発音する地域もある。
僕がこむら返りに襲撃されたのは丸亀城に訪れた日の午後の事である。
歳のせいなのだろうか・・いや、日頃から運動不足の僕が、小ぶりなものの意外に坂のキツイ亀山(丸亀城が建つ山)の頂上と駐車場の間を3往復した為と思われる。(うん、きっとそうだ)

でも何で3往復かって?!・・それは車に携帯忘れたり、天守に忘れ物したり、ランチに行ったり・・
まい  「時間をつぶしたり」
源九郎 「やかましいわ」

丸亀城

季節ごとに楽しいイベントが開催され、「扇の勾配」と呼ばれる芸術的な石垣で、全国にその名が轟く丸亀城。
実はここだけの話にして欲しいのだが、これまで僕は丸亀城を観た事がなかった。
ながく県外で暮らしていたこともあるが、幼少時に連れられ、訪れた記憶も無い。
最新テクノロジーを駆使した、新しいもの好きな父と、ペーパードライバーの母のもとで育ったからなのだろうか。
丸亀城が、市街地の山頂に建つ小さなお城だと知ってはいるが、僕は実物を知らないのだ。
この所は城ネタが続き、編集部内でも城好きだと思われている僕なのに・・・
まあ、今さら言えないと言うやつだ。

まい  「ふっふっふ、話は聞かせてもろたでぇ」
源九郎 「めだ〇師匠みたいな登場すな」
まい  「よっしゃ、今日はこれぐらいにしといたるわ」
源九郎 「いったい何の話をしとんや」

こうなったら一度は丸亀城に足を運ばないかん!僕は丸亀城行きを決意した。
編集長からの「それ完全な観光やが!」とのツッコミにも負けず、行って参りました丸亀城へ!
内堀越しに丸亀城天守を望む
内堀越しに丸亀城天守を望む
丸亀城は丸亀市の中心にそびえる平山城であり、その姿はまさに同市のランドマークだ。城の建つ亀山(高さ約65m)の斜面を覆うように螺旋状に積まれた石垣は、平地から本丸までの累計高がなんと日本一である。
また、全国に現存する木造天守の(わずか)12城のうちの一つなのだ。

その起源は安土桃山時代で、慶長2年(1597年)に豊臣家臣の家臣である生駒正親の創建による。
その後、この地を治めた山崎家治の時代に、この城の象徴ともいえる高石垣が整備された。
さらにその後、京極高和の手が加えられ丸亀城は完成し、幕末を迎えた。

源九郎 「丸亀城に着いたで!」
まい  「あたしやって話題のメロンパンやらイケメン時計みたいなんやってみたいわ」
源九郎 「君が勝手について来たんやが!それに時計を持っとんは美人や」

丸亀城へのアクセス

車を利用の場合、時間帯などで異なるが高松市より一般道を使用し50分程度。
無料駐車場が丸亀城内、資料館の南側にある。
駐車場の利用可能な時間帯は以下の通りだが、シーズンにより異なるので注意したい。
日が暮れても夢中になって駐車場時間を忘れないようにしよう。

 4月1日~9月3日   《午前6時~午後7時》
10月1日~3月31日  《午前7時~午後5時》

鉄道利用の場合、JR丸亀駅からは徒歩10分程度と便利。
住所 
〒763-0025  香川県丸亀市一番丁

いざ大手口へ

先ずはお堀に沿って大手口(城の正面玄関)まで歩いてみよう。

幕末当時の丸亀城は下の地図のように、内堀の周囲に武家屋敷が建ち並び、更にその周囲に外堀を廻らせていた。
明治以降、外堀は完全に埋めたてられたが、現在も、内堀は天守のそびえる亀山を囲んでいる。

まい  「外堀を埋めてしもたんは高松城とおんなじやの?」
源九郎 「でもな、丸亀城の南西に外堀の名残りがあるんやぞ」
まい  「そらぁ観ておかないかんな!」
源九郎 「フッ(興味がでてきたんかいな)」
まい  「・・・・(なんや気色悪いわ)」

かつての丸亀城と現在の市街地を重ねてみると・・・

幕末頃の地形地図(丸亀市教育委員会提供)
地図の下が北。
現存する内堀を緑に着色し、それを囲む外堀と土器川、湾を青く着色してみた。
現在に比べ、海岸線が丸亀城に近かったこともわかる。

大手門

丸亀城大手二の門(写真正面)と天守
丸亀城大手二の門(写真正面)と天守
大手口に到着したら城内散策だ。

ここ大手口はお城の玄関口であり、丸亀城の場合その北側に位置する。
堅牢な石塁(石垣)に白亜の土塀、同じく櫓門を備えた堂々たる構えだ。
おかしな表現ではあるが、これぞ大手口というか、やはり何というか大手口らしい造りなのである。
下の写真は大坂城の大手門。
スケールは違うが、よく似たデザインだ。
大坂城の大手門
大坂城  左折れの枡形
丸亀城大手一の門
丸亀城大手一の門
大手口には橋と接し、北を向いた大手二の門と、その先に東を向いた大手一の門を備えている。
大手二の門は小ぶりで、それには一度に大軍の侵入を防ぐ意味がある。
大手二の門と連続した左右の塀には外敵を防ぐ為の狭間(さま)という小窓を備える。
敵に向け鉄砲を狙い、矢を放つための装備である。
三角形の挟間は鉄砲用、長方形の挟間は弓矢用である。

まい  「キリキリキリッ」
源九郎 「こらこらっ!引き絞るな」
開閉式の狭間
内堀方向を窺う

内堀を渡り、大手二の門の先はいわゆる枡形で、侵入した外敵を直進させず、また閉鎖した大手一の門など周囲から攻撃を浴びせるという当時の防御システムだ。
また、大手一の門は門の上に櫓を設けた櫓門と呼ばれ、枡形に侵入した外敵に櫓からの攻撃を浴びせることができる。
この櫓は時報の為の太鼓を備え、実際に旧藩時代は時報用に使用された為に大手一の門は太鼓門とも呼ばれる。
丸亀城は右折れの枡形である
丸亀城は右折れの枡形である
直進を断念した外敵は大手一の門へとすすむ
直進を断念した外敵は大手一の門へとすすむ

江戸時代の丸亀城図

 「京極時代の丸亀城城郭図」/丸亀市立資料館所蔵  
大手口(図では下=北)が現在と同じ形状である事が分かる。

藩主玄関先御門

大手一の門を通過し左手が本丸へ進むコースなのだが、右手の山麓の西、藩主玄関先御門の方向へすすんでみよう。
そこには藩主の館であり政庁でもある御殿の正面に設置された門が残っている。

源九郎 「この先に御殿があったんか~」

この門の西側に出入りを監視する番所、そして長屋が連続している。
御殿は残念ながら明治2年の火災で焼失し、その跡地は芝生公園や資料館として活用されている。
藩主玄関先御門

城内観光案内所

話も道もそれてしまったので、大手一の門に戻りたい。

大手一の門を通過し、左に折れると本丸へと進む急な坂と、城内を周回する平坦な道との分岐が見える。
そこには城内観光案内があり、土産物の購入や、職人さんに教わりながらうちわ作りも体験できる。
ここでは丸亀城に限らず、市内の観光案内や近隣のうどん店、骨付鳥店といったグルメ情報まで丁寧に教えてもらえるので何かと重宝する。
城内観光案内所で、ゆるキャラ《じゅうじゅう》に声をかけると振り向きざまにポーズを決めてくれた。
源九郎 「お、懐かしげなんがあるなあ」
まい  「うちっ娘から顔出してみるけん、源九郎は京極君から顔出してんまい!」
源九郎 「よっしゃ」
まい  「あたしは毎日かあ〇んに見えるんちゃう?」
源九郎 「しかし二人で顔出してどうするんや!!」
京極君とうちっ娘ちゃんになりきって記念撮影だ!
京極君とうちっ娘ちゃんになりきって記念撮影だ!

恐るべし見返り坂

丸亀城の天守に進むには、この見返り坂がスタンダードだ。
見た通りにその坂はきつく、ネーミングの通りに、つい立ち止まってはふり返ってしまう。

源九郎 「ひぃ~っ この坂、ちょっときつすぎやろ!」
まい  「周りのおじいちゃんやおばあちゃんに笑われとるわ」
源九郎 「大変に失礼しました・・・」

スイスイと坂を登るシニアの皆さんに負い目を感じつつ喘ぎながらも 見返り坂が右に折れるポイントに到達する。
見返り坂
見返り坂

三ノ丸の高石垣を眺む

見返り坂を一気に登るのも良いが(しんどいけど)、せっかくなので三ノ丸の石垣を下から眺めてみたい。
見返り坂が右に折れるポイントから少し脇道にすすんでみよう。
但し現在は、三ノ丸の南側の石垣に毀損があり、一部通行禁止区間のため引き返さないとならない。
三ノ丸の石垣を見上げるルート
三ノ丸の石垣を見上げるルート

源九郎「斜面がみんな石垣で覆われとるから簡単に登れんし、身を隠すこともできんな」
まい  「この先は石垣が幾つも折れとるんやけど?」
源九郎 「よじ登るような強者がでてきても、色んな角度から監視や攻撃ができるからな」
まい  「よう登らんわ~」
三ノ丸石垣(北側)東⇒西 
三ノ丸石垣(北側)東⇒西 
三ノ丸石垣(北側)を見上げる 
三ノ丸石垣(北側)を見上げる 
三ノ丸石垣(北側)西⇒東
三ノ丸石垣(北側)西⇒東
三ノ丸の石垣の下、この先の帯曲輪を進むことはできない
三ノ丸の石垣の下、この先の帯曲輪を進むことはできない

再び見返り坂へ

三ノ丸の、壮大かつ優雅な石垣を鑑賞した後は、再度見返り坂返り坂が右に折れるポイントに戻る。
ここは左右を高石垣に挟まれているのがわかる。

例えばここに招かざる侵入者の一団があったとする。
斜面を石垣に覆われた亀山では自然、彼らは限定された狭隘なルートへと誘導される。
(この見返り坂である)

狭隘なルート故に侵入者は大軍のままの行軍が叶わず、正面、そして左右の高石垣からの攻撃に晒される。
まさに真上からの攻撃という感覚であろう。

更にこの区域は、西の城壁が北へと長く延び、外敵の侵入に備えている。
この気の毒な侵入者達は、坂を右折した途端に後方からの攻撃にも身を晒すという意味である。

丸亀城は要所のひとつ一つがこのような周到な構造になっているのだ。

源九郎 「用心深いんやなあ」
まい  「大手門と同じで、ここでも囲まれてしまう訳やな」

幸い現在は誰からも咎められることなく、景観を楽しみがら散策できる。
右折する見返り坂を挟む高石垣
右折する見返り坂を挟む高石垣
源九郎 「ひぃ~ 坂はまだ続くんかあ~」
まい  「ぺぺに笑われるでえ」
源九郎 「えっ?ぺぺって誰なん?」
右に折れ、見返り坂は続く
右に折れ、見返り坂は続く

三ノ丸散策

見返り坂を登り切ったところで、三ノ丸を見学してみよう。
わずか数分の登山なのに抜群の展望だ。
周囲を監視し、睨みを利かせるのに最適だ。

丸亀城の見取り図 丸亀市教育委員会提供 
丸亀城の見取り図 丸亀市教育委員会提供 
上の見取り図で、これまで茶色く着色された見返り坂をすすんできた。
黄色く着色したここ三ノ丸の標高が50.5m、その先、同じくオレンジ色に着色した二ノ丸が58.6m、赤く着色し天守閣のそびえる区域が本丸(頂上)の標高が66.5mなので、ゴールはもう一息なのだが、ここは是非三ノ丸を散策してみたい。
先程見返り坂の途中に見上げた石垣の上を歩くわけだ。

石垣は縦の湾曲と共に横にも扇を開いたように優雅な湾曲を魅せてくれる。 
この石垣に立つと、まるで中世ヨーロッパの城のように、崖にそびえる城壁に立つようだ。
石垣で山全体が鎧うことで、一個の、石で出来た巨大な建造物のようにも感じる。
この城の持つ、石垣のスケールが成せる効果なのだろうか。
三ノ丸より北側の石垣を見下ろす。
三ノ丸より北側の石垣を見下ろす。
三ノ丸石垣(北側)西⇒東
三ノ丸石垣(北側)西⇒東
三ノ丸より坂出方面を望む
三ノ丸より坂出方面を望む
三ノ丸からの讃岐富士(写真左手)
三ノ丸からの讃岐富士(写真左手)
三ノ丸の東南隅には月見櫓がある。
丸亀城の東に流れる土器川が高松藩との境界であり、これを監視するのには最適だ。
まい  「今は讃岐富士(飯野山)を眺めるのに絶好やの」

二ノ丸散策


この丸亀城を攻略するような気持でこの城郭を考察してみよう。
あの高い石垣に囲まれた坂を突破して三ノ丸にたどり着いたとしても、本丸迄辿り着くには二ノ丸を陥さなければならない。

『この先は凄いよ、360度石垣に囲まれるで』
見返り坂ですれ違った紳士が二ノ丸大手(二ノ丸への入り口)の見どころを話してくれた。

二ノ丸大手は、大手門のように櫓式の門を備えた枡形構造で、容易に侵入は出来ない。

源九郎 「確かに360度囲まれてるみたいや」
まい  「ホンマや」

二ノ丸大手
二ノ丸大手
二ノ丸大手を(二ノ丸より)見下ろす
二ノ丸大手を(二ノ丸より)見下ろす
二ノ丸の北東にある番頭櫓
二ノ丸の北東にある番頭櫓
かつて二ノ丸の北東隅には番頭櫓(鬼門櫓)がありその西(北西隅)に長崎櫓、
南東隅には辰巳櫓、また、そのすぐ西には五番櫓があった。
それらは渡り櫓で連結する事でこの二ノ丸を囲んでいた。
そして番頭櫓(鬼門やぐら)と辰巳櫓のあいだには門を構えていたのだ。

まい  「渡り櫓て何やったっけ?」
源九郎 「塀みたいやけど中が渡り廊下というか・・・」
まい  「わかりにくいわ」
源九郎 「高松城の水手御門にくっついとったやつ」
まい  「あんなんで囲んでたんかあ」
高松城の月見櫓(写真右奥)と連結する続櫓と渡櫓(写真手前)
丸亀城も二ノ丸の櫓や本丸の櫓をこのような渡櫓で連結し、その防御度を高めていた。
辰巳櫓跡(手前)から五番櫓跡(奥)も渡櫓で連結されていた
辰巳櫓跡(手前)から五番櫓跡(奥)も渡櫓で連結されていた

本丸散策

二ノ丸から本丸、天守を望む
二ノ丸から本丸、天守を望む
二ノ丸に到着したら、もう本丸に着いたようなものだ!
何て事を言えるのは現代だから!二ノ丸から本丸へとすすむルートも厳重な構造だ。
城を攻める側にとって天守まで進むルートは、70メートル足らずの小山に見えてもそれぞれの曲輪(二ノ丸・三ノ丸など)に備えられた櫓からの攻撃を凌ぎつつ、厳重な囲いを突破するという恐ろしく剣難の道なのだ。

まい  「丸亀城ってややこしく出来とんやな」
源九郎 「用心深くなるほど、造りが複雑になるわけか」
本丸の南東隅の宗門櫓跡(左)と南西隅の多聞櫓跡(右)
本丸の南東隅の宗門櫓跡(左)と南西隅の多聞櫓跡(右)
二ノ丸同様に本丸の隅にも櫓跡がある。
現在は手すりで囲まれ、見晴らしの良さから展望台となっている。
天守の東に塩櫓跡、西には姫路櫓跡がある。
本丸の南西隅には多聞櫓跡、南東隅には宗門櫓跡が配置され、それらは渡櫓で連結されていた。
多聞櫓跡越しに市街地を望む
多聞櫓跡越しに市街地を望む
宗門櫓跡より天守を望む
宗門櫓跡より天守を望む
現在は見晴らしの良い本丸も、かつては天守と櫓をつなぐ渡櫓で囲まれていたのだ。

例えば下の写真(左)は丸亀城天守を二ノ丸から見上げたものであるが、かつては右の松山城本段のような姿であったのだ。
二ノ丸(長崎櫓跡)からの丸亀城天守 
松山城本段の石垣と櫓

天守

ここまで来たら天守に登ってみたい。

入場料は200円(大人)である。
まい  「子供は100円やって!」
但し見学の出来る時間帯が9:00~16:30(入場は16:00まで)と決まっているので注意をしたい。
ちなみに丸亀城はこの天守に登らない限り入場料はかからず、大手一の門(太鼓櫓)も解放時には無料で見学ができる。
(※小学生・中学生)
天守には兜や火縄銃といった武具のほか、縄張り図といった貴重な資料も展示され、かつての城下の様子を偲ぶことが出来る。

丸亀城は現存する天守であり(模擬天守ではない)、階段は急こう配のやつだ。
手すりを掴み慌てずにすすもう。
本丸に立つだけでも眺めは素晴らしいのだが、天守の最上階で、風に吹かれながら遠い昔に思いを馳せるのも、遠く瀬戸内の島々を眺めるのも良い。

まい  「殿さまが暮らすんには少し狭いと思うわ」
源九郎 「天守で暮してたんは、安土城の織田信長くらいちゃうんかな?」
まい  「そうや、さっきの御殿やったわ!」
天守より丸亀市街地を望む
天守より丸亀市街地を望む

城ネコ? 

まい  「あ~、ペペやん!」
源九郎 「なんでこの子の名前知っとん?」
まい  「毎日本丸に登る城ネコやて、さっきおじいちゃんから教えてもろた」
源九郎 「ネコも自由に登城出来る世になったんやな」
まい  「人間だけちゃうん?自由に登れんかったんは」
地元の方々には有名な、城ネコ ぺぺさん
地元の方々には有名な、城ネコ ぺぺさん

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