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編集部が行ってみた!

高松城のお堀を歩く

高松城下に眠るお堀を調査せよ

主な登場人物

源九郎
まい
まいぷれ編集部の源九郎です。

まいが「編集長~!源九郎は高松城のこと、な~んちゃわかっとらんのでぇ~!!」と叫んだがために高松城のお堀に棲む魚たちを調査したのに、編集長から「それ、ぷち観光やが!」と揶揄されはや半年。

こうして城内を散策してみると、もっと知りたくなるというのが人情というものだ。(ホンマかいな)

それに拍車をかけたのが部屋に飾ってある高松城下図屏風のミニチュアである。

話はそれてしまうが、ドラマや小説の舞台になるあの大阪城(大坂城)。
巨大な天守の周囲を内堀に囲まれ、更にその周囲を外堀に囲まれた上に、その北には淀川が流れ、天然の要害 なっていた ※ 地形が(城などの)防御上で有利であること
それに対し南はどうかというと、豊臣時代には総構えと呼ばれるもう一つの堀が最南限に存在した。
現在のJR環状線玉造駅辺りから西に走っていたのだ。

広大な大阪城公園であるが豊臣時代の面積はその4倍にもなる。

香川県立ミュージアムの土産物
大阪城公園
川と海という違いはあるが、高松城も北を瀬戸内海という天然の要害に守られ、南に平野が広がるという点が共通していた。 

この大阪城の持つ総構の存在を高松城に当てはめて考えると、「高松城にも、南へもう幾重かの堀があったのではないか?」
下戸の上に自制のきかない私は、夜更けに3本目のピーナッツぎっしりスニッカー〇をかじりながら高松城下図屏風のミニチュアを覗き込んでみた。
これは知人からの香川県立ミュージアム(以後県立ミュージアムと表記) 土産で、県立ミュージアム監修の下で制作されたものだ。

「こ、これは!・・・目がショボショボしてよう見えん」

こうなったら外堀散策の前に、オリジナルの高松城下図屏風を鑑賞するしかない。
さっそくその翌朝(ヒマ人か)、県立ミュージアムで高松城下図屏風を見学してみると外堀の規模や範囲についてもおおよその推測がついてくる。

そして今は便利なツールがある。
そう、WEBの地図と航空写真をすこし観察するとすぐに判明する!これが外堀の跡なんだと。

俄然行ってみようと思った途端、こいつが絡んで来る。

まい  「私やったら、お土産の屏風だけで見つけたんちゃうかな」
源九郎 「うっさいわ!オリジナルからしか伝わって来んものがあるんじゃ」

ことでん片原町駅からスタート

ことでん片原町駅
ここから真っ直ぐ西に外堀があった
源九郎 「さあ片原町※1 に着いたぞ 」
まい  「玉藻公園に行くんやろ?築港※2 と違うん?」
源九郎 「ここは外堀と、東町奉行所があったらしいから・・・」
まい  「おうおう!この桜吹雪に見覚えがねぇたぁ言わせねえぜ」
源九郎 「えっ!お奉行様が金さん?・・・ええから降りんかい!」
※1 片原町駅 ※2 高松築港駅 共にことでん(琴平電気鉄道株式会社)の駅

ことでん片原町駅下りホームの東側はかつて東町奉行所が存在した場所だ。
これまでに駐車場や古くは鶴屋町尋常小学校等の遍歴を経た後に、現在はマンションが建っている。
周囲を歩いてみたものの、残念ながら東町奉行所について掲示されたものはない。

まい  「なに虚空を見つめとんや?」
源九郎 「何も残ってなくても、こうして歴史を感じてみるんが大切なんや」
まい  「私が警官やったら職質しとるで」



地図の中央が東町奉行所
現在はマンションが建っている
記事内の古地図は幕末頃の高松城下を現した 「高松城下町屋敷割図」/香川県立図書館所蔵 を使用
高松城に初心者の私でも、県立ミュージアム所蔵の高松城下図屏風を観察することで外堀の存在を確信した。
この屏風に描かれた外堀の様子から、その場所についておおよその見当はついていたが、改めて≪かつての高松城と現在の史跡高松城跡の地図≫で確かめてみた。

これは現在の市街図に江戸時代末期の高松城図を重ねたものだ。
高松城屏風でみた外堀が、現今の地理でいうと片原町・兵庫町辺りであったこと、かつての中堀と内堀の様子までよくわかる。

やはり、ここ片原町商店街と兵庫町商店街がかつて高松城の外堀があった場所だ。

まい  「知らんかったんは私らだけと違うん?」
源九郎 「その可能性も・・え~っ否定はできないのであります」
まい  「歯切れの悪い答弁やな」

かつての高松城と現在の史蹟高松城跡の地図(高松市教育委員会提供)
かつての高松城と現在の史蹟高松城跡の地図(高松市教育委員会提供)
前述の通り、かつて高松城は城の北側が瀬戸内海に面していた。
海という天然の要害に守られ、本丸の周囲には海水を引き込んだ内堀をめぐらせている。

《堀の中の素敵な面々》 で和船にのって鯛を捕りまくった、いや撮りまくったのが内堀だ。

内堀の周囲には二ノ丸、三ノ丸、桜ノ馬場があり、更にその外周には中堀をめぐらせてある。
ことでんの上り線で、片原町を発車後間もなく、左カーブを過ぎ右手に艮櫓(うしとらやぐら)とセットで見えるのが中堀だ。
内堀と天守台
旭橋から中堀を望む

中堀の周囲にはかつて、武家屋敷の並ぶ外曲輪が高松城を囲むように配置され、更に外曲輪ごと高松城を囲んでいたのが外堀なのである。

外堀の規模は、上の≪かつての高松城と現在の史跡高松城跡の地図を≫ご覧いただくと一目瞭然であるが、片原町東部商店街の東端から中央通りを貫き、兵庫町商店街の西端までと長大で、東側は北に折れ、深く入り込んだ東浜舟入という港の直前でまで延び、西側は北西に折れ、西浜舟入の横で終了している。
つまり海と堀が協同して城を包んでいたのである。

今回は外堀を歩いてみることで、かつての高松城とその規模を感じてみたい。

外堀の散策その1

片原町商店街と兵庫町商店街を歩いてみよう。
片原町商店街と兵庫町商店街を歩いてみよう。

常盤橋

さあ、さっそく外堀・・・いや商店街を歩いてみたい。

私にとって片原町駅とその周辺は幼少の頃、両親や祖父母に連れられ歩いた懐かしい場所だ。
アラフィフを過ぎた著名人らの「〇〇百貨店のお子様ランチやクリームソーダが楽しみだった」という話をよく見聞きするが、まあそのような類である。
まい  「そのエピソードは必要なんか」
源九郎 「旧懐の情というものがな~いんかな」
まい  「あたし、ショッピングモール世代ですから・・・」
源九郎 「なんか悔しいなあ」

片原町のアーケード西を進みご存知、丸亀町壱番街前ドーム広場にやってきた。
かつて、この片原町・兵庫町商店街の中心から北に、広い場所では幅20m程の外堀がめぐらされていたのだが、そしてドーム広場の北に架けられていたのが常盤橋だ。
常盤橋の跡には詳しい案内板が備えてある。

かつてはこの場所から常盤橋越しに高松城天守を望むことができたであろうが、今はその面影を感じることは出来ない。
いつの日か天守復元の暁にはここから眺めてみたい。

ちなみに常盤橋の一部は栗林公園、東門前の橋に移されている。

このまま中央通りを横断し、かつての外堀を時計回りに進んでみよう。
古地図の中心辺り、外堀と常盤橋
三町ドームの北、外堀と常盤橋のあった場所
常盤橋の一部は栗林公園、東門前の橋に移されている。
常盤橋の一部は栗林公園、東門前の橋に移されている。

八雲橋


中央通りの中央分離帯には、ひっそりとしかも堂々とした(どっちや)八雲橋のモニュメントがある。
控えめに鎮座(もうええ)しているため、スマホを眺めながら、或いは慌てて横断していると気付かないものである。

ただし八雲橋は高松城の設備ではない。
かつて、モニュメントの北西に外堀を挟み出雲大社分院があった。
その存在は明治、そして昭和初期の地図でも確認することができる。
そう、八雲橋は参拝者の利便を図る目的で外堀に架けられたのだ。
中央通りの中心にある八雲橋のモニュメント
中央通りの中心にある八雲橋のモニュメント
モニュメントに残る八雲橋の欄干
モニュメントに残る八雲橋の欄干
中央通りから、兵庫町商店街を西にすすんだ右手、現在の駐輪場付近に八雲橋が架けられていた。
その北にある駐車場付近が、かつての出雲大社分院である。
そこは高松城築城時から明治初頭まで、家臣の屋敷が並んでいた外曲輪であった為、出雲大社分院は八雲橋と同じく明治に入り暫くしてから建立されたのだろう。

明治33年ごろ、外堀が姿を消したと同時に八雲橋もその役割を終えた。
現在の駐輪場付近に八雲橋があった
出雲大社分院の跡地は駐車場である

さらに外堀をすすむ

兵庫町商店街の西、外堀は北西に折れる
ガソリンスタンドが外堀の北西端(北西⇒東南)

まい  「アーケードはここで終わりなんやな」
源九郎 「外堀はここから海の方向に折れるんや」 
兵庫町商店街のアーケードを西に抜けると、右手に北西に延びる通りがある。
外堀が並行して北西に折れるポイントである。
まい  「この斜めの道やな」
かつて外堀であったこの区画は瀬戸大橋通りにぶつかるのだが、その手前、ガソリンスタンド辺りで北から延びてきた西浜舟入とバトンタッチするように終了する。
外堀は西浜舟入と出会い終了する
左の古地図の付近(南⇒北)
古地図では、南から延びた外堀が北から延びた西浜舟入と出会う辺りに橋が確認できる。
右の写真では自動販売機より右の区域が外堀で、奥に見えるマンションの方向から、西浜舟入が駐車中車両の後ろまで入り込んでいた。
駐車禁止の道路標識あたりが古地図に見える橋の位置だろう。
海(北)側からの写真にかつての外堀と西浜舟入をクリーンのラインで示す
海(北)側からの写真にかつての外堀と西浜舟入をクリーンのラインで示す
東(写真では左)から兵庫町商店街に沿って延びた外堀は、商店街の西端で北西に折れ、現在の瀬戸大橋通り付近、北から延びた西浜舟入と最も接近した地点で終了する。

中堀と内堀の散策

瀬戸大通りから中堀の跡地を散策してみよう
瀬戸大通りから中堀の跡地を散策してみよう
重臣の屋敷が並ぶ外曲輪
重臣の屋敷が並ぶ外曲輪

ここからは、かつての外曲輪の中にあたる瀬戸大橋通りを西へ、中堀に向かって歩いて行こう。
この通りの南側、ガソリンスタンドから東は古地図を確認すると、いわゆる重臣たちの屋敷が並んでいた場所だ。(家紋が描かれている屋敷だ)
この並びには現在も公共の、あるいは公共性の高い施設が建ち並んでいる。

源九郎 「屋敷言うたって、ここも城の中なんやから通勤が楽でええなあ」
まい  「ランドで遊んた人がミラコスタに泊まった翌朝、悠々とシーに入場する感じか」
源九郎 「僕が意味わからんわ」

中堀は現在も部分的に残っている。
県立ミュージアムの裏から南に延び、艮櫓を西に折れた中堀は、カーブした線路に遮断され終了しているが、元々は中央通りを越えていた。

艮櫓から西に折れる中堀
線路の手前で終了する

源九郎 「ことでんから見えるあの中堀も、今の中央通りを越えてもっと西まで延びてたんや」
まい  「立体交差してたんか」     
源九郎 「頭の中を整理してくれ」
白井石見屋敷前で北に折れる中堀
駐車場の看板(中堀の折れるポイント
古地図では白井石見屋敷前で中堀が北に折る。
現在の街並みに置き換えて考えると、中堀は艮櫓から真っ直ぐ中央通りを越え写真の左隅に見える駐車場の看板辺りで北に折れ、高松駅前まで延びていた。
地図の中心付近で橋が架かるのが中堀
地図の中心付近で橋が架かるのが中堀
現在の高松駅前まで中堀が延びていた
現在の高松駅前まで中堀が延びていた
グリーンのラインは中堀を示す
グリーンのラインは中堀を示す
現在の瀬戸大橋通りから北へ折れた中堀は、高松駅前まで延びる。
現在、駅前の広場には多くの施設が建ち並ぶが、かつて中堀の北には護岸が間近に迫っていた。

内堀の散策

今度は中堀から内堀へと歩を進めてみよう。
と言っても高松駅前から中央通りを渡るとそこが内堀の跡である。

まい  「なんや築港の駅やん」
源九郎 「この駅と、広場も内堀があった場所や」

現在の内堀は、西端がことでん高松築港駅とそこから続く線路に隣接し終了している。
かつての内堀は現在の中央通りの東端まで延びており、高松築港駅と同駅前広場は内堀を埋めた跡地なのである。
美しく整備された駅前の公園はかつての内堀を埋めたてた跡である
美しく整備された駅前の公園はかつての内堀を埋めたてた跡である
グリーンの帯はかつての内堀で、本丸を囲んでいたのだ
グリーンの帯はかつての内堀で、本丸を囲んでいたのだ

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