地元暮らしをちょっぴり楽しくするようなオリジナル情報なら、高松の地域情報サイト「まいぷれ」!
文字サイズ文字を小さくする文字を大きくする

メニュー

高松の地域情報サイト「まいぷれ」高松市

編集部が行ってみた!

レトロな港町 引田の歴史を見にぶらり旅

~引田城散策編~

昨年、某公共放送で放映された真田丸は久々に最後まで観てしまった。
配役や時代考証について何だかんだと言いながらも、戦国時代と幕末期を描いたものにはヒーローが続々と登場するためか実に楽しい。

先日、編集スタッフの大熊惹句から「引田城っておもしろそうじゃない?」という打診があった。
引田城・・・?
全くノーマークなうえ、このところはお城ネタが続いていたのでそろそろ先端のモードやグルメをレポートにしようと熟慮を重ねていた矢先の出来事でもあった(嘘つくな!)
さっそく調べてみると、な・なんと戦国の城ではないか!?
小躍りしそうなのをこらえつつ「え、僕が取材にでかけても良いの?」と出来うる限りの冷めた顔で返したので彼も拍子抜けしたかな・・・

相棒の大熊惹句は、魚釣り等多趣味なアウトドア派らしい。
それにひきかえ僕は足の多い虫と、虫のいそうなトイレが怖いので屋外での遊びが好きではない。
でもなぜか城がらみのフィールドワークでは、我ながら人が変わったように平気になるから、不思議なものである。

引田城址の位置

所在地:香川県東かがわ市引田

いざ引田城址へ

引田城の歴史をひも解いてみると、667年、唐・新羅からの襲来に備えて築かれた屋嶋城の狼煙台としての役割がその起源ともいわれ、また応仁年間(1467年-1469年)から戦国時代後半(16世紀後半)にかけて城主が幾度も変わり、豊臣政権下では仙石 秀久や生駒正親が居城とした。
生駒正親は讃岐を治めるにあたり高松城(玉藻城)に移ったのち、元和元年(1615年)の一国一城令により引田城は廃城となった。

高松城、丸亀城といった香川を代表する城は、立地、構造共に有事に備えつつも平穏な世の藩庁(政庁)といった印象が強い。

引田城は時代とともに城主が変わり、戦いに備え修繕や改良を重ねた戦国時代をくぐり抜けた城である。

廃城から400年以上経て引田城はどのような姿を見せてくれるのだろう・・・
とても楽しみだ!
な~んて話で大熊惹句と大いに盛り上がった。
駐車場について東かがわ市に問い合わせたところ、引田城址へ見学に訪れた際には、その麓にある田の浦野営場の駐車場を利用できることを確認した。

さっそく駐車し登り口を目指す。
駐車場の眼下はビーチと、芝に覆われた田の浦野営場が拡がる抜群のロケーションだ。

田の浦野営場からの景観
田の浦野営場からの景観
ビーチと城山(引田城址)
ビーチと城山(引田城址)

引田城址(城山)の見取図

これは引田城址の見取図で、テントのマークは田の浦野営場、Pのマークがその駐車場
取材時に利用した田の浦野営場の駐車場
取材時に利用した田の浦野営場の駐車場
駐車場そばの登り口(北)
駐車場そばの登り口(北)
登り口(南)
登り口(南)
駐車場のすぐそばには登り口があり、7~8分程度歩いたところにもうひとつの登り口がある。
便宜上、前者を登り口(北)と呼び後者を登り口(南)と勝手に呼ぶことにした。
それぞれの登り口には道しるべや案内図が設置されているためそれと分かりやすいが、当然、現地の登り口に北・南の区別できる表記はない。     

僕と大熊惹句は駐車場に備えてあった案内図を確認し、城の主要な区域に近い、登り口(南)から登ることに決めた。


リュックサックにすればよかった・・・(源九郎)
リュックサックにすればよかった・・・(源九郎)

引田城址のある城山は、瀬戸内海に突き出たような小さな山である。
山といっても80メートルちょっと。
高松駅前にある高層ホテルの最上階に登るようなものだ(登らせてもらったことはないけど)

初めて登る山なので、独りだと心細かったかも知れないが今日は相棒がいるから心強い。
日常的に坂を登る機会の無い、ひ弱な足腰ではあるが、進む先に城跡が待っていると思うと足取りが軽く、どこまでも歩けそうな気分だ。


引田港から見る城山(引田城址)
引田港から見る城山(引田城址)
登山道から見る引田港
登山道から見る引田港
登り始めはつづら折りの狭い山道だがすぐに直線の坂道になる。
前方の視界がにわかに明るくなったと思うと、視界に飛び込んでくるのは引田港だ。
ここで折り返し、尾根伝いに進んだ先に狼煙台(のろしだい)跡がある。

狼煙台跡に立つ、わが相棒の大熊惹句
登り口(南)から数分で狼煙台跡に到着。
湾の景観、徳島方向への展望共に良好だ。
はたして名称通り、狼煙という通信手段に利用されていた場所なのだろうか。
この地点でも運動不足の影響はない。

西の郭の石垣
狼煙台跡をしばらく進み最初に遭遇するのが西の郭(くるわ)の南端である。
郭とは石垣などを用いて戦闘や居住に備え区画された自然のまたは人工的な平地のことを呼ぶ。
最初に遭遇した石垣なのでじっくりと観察したいところだが我慢して先に進む。



引田城址の郭を巡ってみよう!

いよいよ引田城址の郭を巡ってみたい。

ここまでは登山口からの順路通りに歩いて来た。
このままハイキングとして自由に散策してみるのも良いのだが、今日はかつての大手門(正門)からスタートしてみたい。
でもその前に!

先ずは見取図でそれぞれの位置を確認しながらコースプランを練ってみよう。

引田城跡見取図

本稿で使用した引田城址の見取図には、現地登り口の案内図に記載された呼称を使用しております。
尚、東かがわ市教育委員会に問い合わせたところ、最近の研究の結果、現在は以下(右・太字)のように呼称しているそうです。
現地では案内図、道しるべなど掲示物によって異なる呼称を用いているため、予めご確認ください。

北の郭⇒北二の丸
西の郭⇒南二の丸
南の郭⇒本丸
東の郭⇒東の丸
丹後丸⇒北曲輪

引田城址は、その城山が持つ馬蹄型の尾根に築かれた平山城※である。
馬蹄の中心には大手門(正門)があり、ここを中心に両翼に郭が展開している。
※平地の独立した山や丘などに築いた城、他に水城、山城などに分類される。

私たちが歩く通路はハイキングコースとして整備されており、また馬蹄型といっても、その両先端から谷へと下り、化粧池方面に進めば周回もできる。

山歩きだけでも運動になる上に、日常の喧噪をはなれ、野鳥のさえずりの中で自然も満喫できるので結構なのだが、ぼんやり歩いているとお城を歩いていることを忘れ、遺構も見落としてしまう。
この小さな山を散策する中で、少しでも城を感じてもらえるよう、上の見取図のようにの3コースを設けてみた。
またそのような趣旨から、谷にある化粧池はA・B・Cコースからは外してある。

A コース 大手門→西の郭→南の郭 (案内図の中心辺り、城山の文字の右、青い矢印の起点が大手門である)
Bコース 大手門→東の郭
Cコース 北の郭→丹後丸

番外編  谷間にある化粧池 


参考

東かがわ市教育委員会ではボランティアガイドさんに案内を依頼することもできるのでしっかりと観察したい、という方は参加してみよう。
東かがわ市教育委員会生涯学習課
 TEL:0879-26-1238 

Aコース

Aコースでは大手門をスタートし、西の郭を観察しながら引田城址の本丸といわれる東の郭を目指そう。
展望台からの景観も見どころだ。

大手門

登山道から大手門を望む
大手門のあった両郭の狭間は、こんなラインだったのではないか想像する 
大手門のあった両郭の狭間は、こんなラインだったのではないか想像する 
西の郭(写真左手)と北の郭(写真右手)の間、郭の頂点との高低差4m、幅25mの谷間の先が大手門のあった場所だ。
この大手門を挟む傾斜はとても緩やかであるが、400年前は両郭の切り立つ深いものであったであろう。
かつての引田城は麓から、この先の大手門へと繋がる大手道を正規の登城ルートとして利用していたと考えられている。

先に進んでみると大手門跡と思われる位置には大きな石が埋まっている。


大手門付近に埋まる石
大手門付近に埋まる石
大手門から大手道への境界か
大手門から大手道への境界か
城山の西側より大手門方向を望む
城山の西側より大手門方向を望む
現在、民家や田畑のある一帯は武家屋敷があったと考えられている。

西の郭・櫓



大手門から西の郭へ
大手門より西の郭に進む。
ここは一見、自然の山道のようだが、通路の右手、一段高い場所が西の郭の北端である。
Aコース、Bコースともに郭から郭へと城の要衝に進むには高低差のある隘路を進む構造だ。
もしも僕たちが、城兵にとって招かざる客ならば簡単に通過は出来ないだろう。

せっかくなので城を攻略するイメージで歩くのも一興だし、この先、石垣など城の痕跡との出会いも楽しみだ。

尚、すべてが築城当時のままではなく、遊歩道として整備されていることも忘れてはならない。

西の郭より一段高い櫓(跡)へ
西の郭の中心部から櫓の方向を望む。
西の郭には雑木が繁茂している為、城の郭に立っているという感じがしないのだが、郭の南面と西面には石垣が残ってる。
櫓(跡)に残る石垣
ここは狼煙台跡を通過したのち、最初に遭遇した石垣の真裏(北)にあたる。

西面
この西の郭を横断し西面を観察してみると、高さ、幅ともに小規模だが石垣を確認することができる。
石垣の観察には斜面を覗き込むような姿勢になるため、転倒、滑落しないよう充分に注意してほしい。


西の郭と櫓(跡)との高低差
西の郭より櫓(跡)へと進む斜面。
ここも隘路であるために一度に大勢の通過は困難で、侵入者は高所(櫓)からの攻撃にも備えなければならないという難所だ。


西の郭、南端
西の郭を南に進むと通路は分岐する。道しるべをそのまま進むと南の郭であるが、ここは右へと進む。
すると狼煙台跡を通過したのち、最初に遭遇した石垣へ戻ってくる。
今度はじっくりと観察しよう。



2段の石垣 
展望台からの眺め
展望台からの眺め
ここは西の郭の南端で櫓のあったとされる位置である。
現在、引田城址の案内板を備えた展望台として利用されている。
引田の歴史に触れ、港や城下の景観も楽しむことができる。


展望台付近、西面の石垣
展望台から郭の周囲を歩いてみると、西面にも小規模ながら石垣が残っている。


南の郭・櫓

西の郭・櫓から少しだけ戻り、先ほどの道しるべを引田灯台方向(右)へ進むと南の郭である。
この南の郭は近年の研究で本丸(もっとも重要な郭)であることが分かった。

南の郭
南面
つい、登山感覚でぼんやりと歩いているとうっかり見落してしまうがここは城の郭であり、この周囲に石垣を巡らせている事を忘れてはならない。
「これって石垣ちがうん?」実は僕も大熊惹句からの指摘で気付いた事がしばしばあった。



南面(櫓近く)
郭の中心部を歩く大熊惹句が「この辺は足元がフワフワしてる」と嬉しそうにしているので、つられて踏み込んでみると確かにマットのうえを歩いているようだ。
落ち葉や枯草が堆積しているためなのか解らないが、しばらく男二人でフワフワと時間を過ごしてしまった。

北面
この雑木の繁茂し、足元のフワフワした郭を横断し、北側斜面を覗いてみると数十センチであるが石垣が確認出来る。
斜面に足を踏み入れ観察したのだが、ここでも足元には充分な注意が必要だ。

南の郭、櫓(跡)
南の郭の先、この一段と高くなったスペースは、櫓や天守台が存在していた引田城のでもっとも重要な郭だと考えられている。


PICK UP 高松のお店 ~グルメ~