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気になること調べてみた

現代に甦る幻の城 ~屋嶋城探索記~

あの屋島は古代山城だった!

まいぷれ編集部の源九郎です。
僕は20代からたくさんの城を見てきたほうだと思います。 
旅先を選ぶとき、惹きこまれるような大自然にひたるのも悪くないけど、その自然の地形に人間が何らかの工夫を加えた“城”にたまらなく魅力を感じるんです。
お城と聞いて連想するのは? きっと天守閣なんて呼ばれるお殿様のお城や、おとぎ話に出てくるようなプリンセスの住むお城でしょうか?
どうせ足を運ぶなら、天守閣があるに越したことはないけど、僕がリピートして足を運んだのはなぜか天守閣のないお城ばかり・・・。

天守閣復元が期待される玉藻公園の高松城天守台
天守閣復元が期待される玉藻公園の高松城天守台
調べてみると、お城にもいろいろあって、おなじみの高松城は海水を引き込んだ海城(うみじろ)、丸亀城は平地の小さな山に築いた平山城(ひらやまじろ)と呼ばれるそうです。
僕は険しい山頂に築かれた山城(やまじろ)にとても魅力を感じます・・・。
ま、僕の好みはいいとして、すこし前に、この香川県に高松城でも丸亀城でもない大昔の山城があるって噂を聞きました。
しかも幼いころ、両親に連れられイルカのショーを楽しんだり瓦投げに興じたあの屋島に!?

噂をキャッチしてからどのくらい日数が経ったのか・・・我ながら、フットワークの悪さに愕然としつつも、行ってみることにしました。 
いざ!屋嶋城(やしまのき)へ!!

屋島へ出発

朝日町から眺めた屋島
朝日町から眺めた屋島
裾野にある東照宮からの屋島南嶺
裾野にある東照宮からの屋島南嶺
屋島ドライブウェイの料金ゲート
屋島ドライブウェイの料金ゲート
国道11号線から屋島山頂に向かうべく屋島ドライブウェイへ。

このドライブウェイで毎回気にかかるのが途中にあるミステリーゾーン。
上り坂なのに下り坂に見える、という不思議な光景です。
このミステリーの解明は「ちょいネタ探検隊」に委ねるとして写真だけ載せておきましょう。

ミステリーゾーンの案内看板
ミステリーゾーンの案内看板
この先がミステリーゾーン
この先がミステリーゾーン
ミステリーゾーン振り返って見たところ
ミステリーゾーン振り返って見たところ

探索開始

屋島ドライブウェイを登り、山上駐車場に車を停めると、屋嶋城へと気が焦ります。
売店・無料休憩所から屋島寺方面にすすむとボランティアガイドさんの待機所があります。
せっかくなのでガイドさんに案内をお願いすることにしました。
ガイドさんは十河さん。たったひとりでお邪魔しましたが快諾いただきました。
「十河さん、よろしくお願いします」

 ボランティアガイドの十河さん
 ボランティアガイドの十河さん
十河さんのお話によると、お客様それぞれの滞在できる時間や希望が異なるため、ご案内の都度、リクエストをお聞きするそうです。
屋島全体が魅力なのですが、僕は屋嶋城をメインに、その道中のガイドもお願いしてみました。
さっそく待合所の裏にある瑠璃宝の池(血の池)からスタートです。
ここは源平合戦のころ、壇ノ浦で戦った武士たちが血の付いた刀を洗ったため、池の水が血で赤くなったと言われる池です。(残念ながら?今は赤くありません)

瑠璃宝の池(血の池)
瑠璃宝の池(血の池)
瑠璃宝の池(血の池)をあとにして、きれいに整備された林道をすすむと眼の前に真っ青な光景が飛び込んできました。
この展望台からは志度湾や津田湾、小豆島に遠くは淡路島も望むことができ、眼下には源平合戦の舞台となった壇ノ浦が見渡せます。
那須与一が扇の的を射貫いたといわれる場所も教えてもらいました。

展望台より瀬戸内海を望む
展望台より瀬戸内海を望む
正面に見える採石場の後方は淡路島方面
正面に見える採石場の後方は淡路島方面

左右で紅白の山茶花(さざんか)を楽しみながら屋嶋城方向へとすすみます。
しばらく歩くと前方に屋嶋城跡(城門)への案内が見えてきます。

分岐を奥に下ると屋嶋城の城門
分岐を奥に下ると屋嶋城の城門
城門への道しるべも立っています
城門への道しるべも立っています

屋嶋城

坂を下って行くと、視界に屋嶋城と市街地の風景が拡がります。

屋嶋城ってどんなお城なの?

屋嶋城とは今から1350年程前に唐、新羅による連合軍の侵攻に備えるために築かれた城です。
当時、日本はまだ倭(わ)と呼ばれ、現在の朝鮮半島は高句麗、新羅、百済という3つの国に分かれ覇権を争っていました。
660年、唐(現在の中国)の援軍を得た新羅に攻め滅ぼされた百済は倭に援軍を求め再興を目指します。
倭は援軍を送りましたが663年の白村江の戦いで、唐、新羅の連合軍に大敗します。
唐、新羅の連合軍による来襲を警戒した倭によって、北部九州から瀬戸内にかけて築いた西日本防衛ラインの一つが屋嶋城なのです。


この屋嶋城については日本書紀にその存在の記述があるものの発見に至らず、「幻の城」とされていました。
平成10年、この城の存在を解明しようと探索されていた平岡岩夫氏が石積みの一部を発見、これを契機に高松市教育委員会による発掘調査がすすみました。

掲示されている古代の海岸線 
掲示されている古代の海岸線 
屋嶋城が築かれた当時、ここから眺めている今の高松市街地と違い、現在のサンポート高松あたりから南東方向は湾となっていて、琴電林道駅あたりから海岸線が東に向かって走っていたそうです。眼下が多くの船の行きかう海路だったなんて驚きです。
その後、塩田開発や埋め立てにより現在のような陸続きの光景になったそうです。

北側の城壁より城門方向
北側の城壁より城門方向
南側の城壁より城門方向
南側の城壁より城門方向

城門へは階段で降りて行くことができます。
屋嶋城は、切り立った断崖という自然の地形を最大限に活用した山城で、一部、人工的に築かれた箇所がこの屋嶋城として復元された城門なのです。


降りてきた階段を振り返ってみると、城門の正面はゴツゴツした岩盤になっています。
これは城門を突破した敵兵の正面を岩の壁が阻み、直進させずに左方向へ進ませるよう造られたものです。
この間に周囲の城兵から矢を射られてしまうため、敵兵は簡単に攻め入ることができません。
朝鮮式のこの構造は甕城(おうじょう)といわれます。


城門の外には地面との高低差があります。
なんと約2.5mもあり、普段はハシゴを使って出入りし、敵が攻めてきたときにはハシゴを外して敵の侵入を防ぐのです。
これを懸門(けんもん)といいます。
復元されている石垣の上に、築城当時には城門と物見台があったそうです。
この物見台を備えた城門は、敵の侵入を阻むだけではなく、眼下の迫りくる敵に対し、城兵が弓矢などでの応戦の際に役立つ構造です。

門外にある石段
門外にある石段
約2.5m の高低差があります
約2.5m の高低差があります

城門の下にある排水溝。築城当時から、地形的に水が流れ込むことを想定していたようです。


写真中央、黒く大きな石の上部あたりが最初に発見された石垣と教わりました。



発見された石垣は、復元するにあたり一度解体されました。
構成するパーツとなる石の一つひとつに番号を付け、それぞれにカルテが作られました。
分解、調査の後、復元時にそのまま使えた石の他、脆くなり復元に使用できないものや不足した石があり、これらは新たに調達されたのです。
赤く見える石は地中に埋まっていたオリジナルの石で積み直したものといわれ、黒く見える石の多くは新たに調達されたものです。

僕がお邪魔した日は休日で、ご家族連れやカップルのほか、ワンコとお散歩中の方もお見かけしました。

見学中の紳士のグループに話かける十河さん
見学中の紳士のグループに話かける十河さん

みなさん同じ会社に務めていた仲間だそうで、時々こうしてお出かけされるそうです。
なんだかいいですね。

城門から階段を降りると城壁が見渡せます
城門から階段を降りると城壁が見渡せます
見よ!1350年の時を経て復元された屋嶋城の勇姿を!!
見よ!1350年の時を経て復元された屋嶋城の勇姿を!!

この屋嶋城を散策していると、時々ワンコとお散歩中の方と出会います。
写真はサラちゃん、3歳の女の子です。
ご主人に「サラちゃんの写真だけなら」ということで撮らせてもらいました。

サラちゃんに話しかける十河さん
サラちゃんに話しかける十河さん
十河さんと同じくボランティアガイドの川田さん
十河さんと同じくボランティアガイドの川田さん
屋嶋城を堪能したあと、十河さんに屋島寺の説明をいただきながらガイドさんの待合所まで戻ってきました。
十河さんがボランティアガイドになったきっかけは歴史が好きだったことだそうです。
若いうちから覚えたいと会社勤めされている頃から続けておられるそうです。
源平合戦に古代史、屋島寺にまつわる歴史など、とても勉強になりました。
この日の案内の時間が終了し、同じくボランティアガイドで登山が趣味の川田さんとしばしご歓談。
尚、ボランティアガイドさんによる案内サービスは12/11~3/18の間はお休みなので、春の暖かくなった頃にガイドをお願いしてみてはいかがでしょうか。
「十河さん、本日はありがとうございました」

ガイドさんからいただいたパンフレット
ガイドさんからいただいたパンフレット
興味深々で探索した“屋嶋城”は派手さこそないものの、ボランティアガイドさんからもらえる高松市の発行するパンフレットや、同市のホームページなどに目を通してみると歴史の重みと復元にたずさわった人々の苦心が伝わってきます。
この遺構の発見後、大きな石垣を構成する石一つひとつに対し、記録と調査をしながら分解し、石積みの実験と試行錯誤を繰り返しながら、斜面で積みなおすという途方もない作業を思うと気が遠くなってしまいます。
こうして復元された屋嶋城は国内最大級の古代山城。これを見学しないのはもったいない!
僕は屋嶋城の見学で訪れましたが、屋島からの展望と自然の美しさを再認識しました。
また、山頂まで車で来ても結構歩くので運動にもなります。
お城や歴史に興味がある方はもちろん、ハイキングやウォーキングがてら屋島まで足を延ばしてみませんか。

源九郎

少し時間があったので西尾根からの屋嶋城をみてきます
少し時間があったので西尾根からの屋嶋城をみてきます

こうして遠目から観察してみると、屋嶋城として復元された部分は周囲の断崖とは違ってくぼんだ地形であったため、防御のための造作が必要であった事がわかりますね。

高松ムービー(動画)チャンネル提供
 

おまけ

屋島北峰
屋島北峰
県木公園のモミジ
県木公園のモミジ
高松港方面
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