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香川でがんばっじょるけん

「バレエを踊る喜びを知って欲しい」セントラルバレエステージ 川西 真由先生

表現者、そして指導者として ~私の軌跡~

川西 真由  Mayu Kawanishi セントラル・バレエステージ主宰
香川県生まれ
5歳より樋笠バレエ研究所にて、クラシックバレエを始める。
豊田バレエ学校にて2年間、ロシア教師よりワガノワメソッドを学ぶ。
Canada.Goh Ballet Academyに5年間留学。
留学中にロイヤルメソッド、RAD(Royal Academy of Dance)の資格をDistinction(最高得点)で取得。
カナダのインターナショナルコンクールでソロ、ドゥオ共に2位受賞。
その他国内外で多数の舞台、コンクールに出場。数々の賞を受賞。
2011年セントラル・バレエステージを設立、各種バレエコンクールで優秀指導者賞を受賞。

香川でがんばっじょるけん!第3回

幼いころからバレエを始め、数々の舞台を経験し、単身カナダへ留学。
輝かしい成績を修めたのち帰国後は後進の育成をしつつ、自らも表現者として舞台に立ち、さらには主婦として又、一児の母としての日々をこなしている川西真由先生にお話しを伺いました。

黎明  ~幼年時

――バレエを始めたきっかけを教えて下さい。

私は子供のころは身体が弱かったため、お医者さんから何か運動を、と薦められたからのようです。
バレエは全身を使った運動だから候補に挙がったのだと思います。

――習い始めた時の印象はどうでしたか?

始めた頃はとにかく楽しくて。
音楽やリズムに合わせて身体を動かし、また可愛いレオタードにバレエの衣装、キラキラした世界でした。

――楽しいことは大切ですね。段々と難しくなっていくのですか?

9歳からコンクールを目指した本格的なクラスでレッスンを受け始めました。
これまでの習い事としてのバレエではなく、競争の世界を選んだことになります。
週数回であったレッスンも、毎日通うようになりました。
帰宅時間も遅くなりましたが、母が送迎してくれました。
バレエは本人の努力と指導者の情熱、そして両親の協力がなければ成り立ちません。

――辛くて辞めたくなった事は?

ありません。上達することがとても楽しくて。
もちろん、挫折や苦悩もありましたがバレエが大好きだったので辞めようと思ったことはありません。

――練習の成果もあり、その後の舞台を経験されるのですね、このころの舞台を振り返るとどのような心境でしたか?


コンクールだけではなく、スタジオのみんなと踊る舞台はとても楽しかったです。
1人で踊るのも素敵ですが群舞でどれだけ揃えられるか、その難しさも感じました。
また、"台詞を発しない女優"となることにやり甲斐を感じておりました。


飛翔 ~高校時代からカナダ留学へ

――単身カナダへ留学された川西先生ですが、どのようなきっかけからでしょうか。

丸亀の高校在学中に、朝から日が暮れるまでバレエ漬けの生活がしたくなり、日本では珍しいのですが、高校卒業資格の取れる愛知県の豊田バレエスクールに編入しました。
ここでは、日本にいながらにして外国人の指導者と接する機会も多く、様々なことを学ぶことができたのですが、海外での修業を薦められる機会があり、留学を考え始めました。
この頃、短期でニューヨークで学ぶ機会もあり留学への気持ちが一層強くなってきました。

――カナダ ゴーバレエスクールを選んだきっかけは?

ゴー先生が来日されオーディションを受けました。
その際に目をかけて下さり、直接誘ってくれたことが大きいですね。
オーディションは入学試験のようなものですが、縁みたいたものを感じた気もします。

――ところで、留学先のカナダの都市、バンクーバーとはどんなところでしたか?

安心して暮らせ、皆がフレンドリーでした。
バレエスクール内で学んでいる時間は別としても、バンクーバーはゆっくりと時間がながれているような、落ち着いた印象を持ちました。
また、四季を通して湿度が低く、冬場も身体の芯から冷えるということは無かったと思います。

――単身外国での生活ですが、学業、日常会話、食事や身の回りのことが大変だったのでは?

高校は休学し、バレエ一筋の生活でした。
最初の2年はホームステイだったので会話の中で解らない単語などが出てくると滞在先のご家族に電子辞書に入力してもらったりしました。
また特別に、日本からの留学生を対象とした英会話クラスを開催いただいた事もあります。
ホームステイ先の食事にはご家族ごとに様々なスタイルがあり、体調管理のためにも食事は自炊したほうがよいと判断したため留学3年目から、同じく日本からの留学生とシェアハウスで生活を始めました。
特に身の回りのことは苦になりませんでしたよ。
――ホームシックで逃げ出したくなることは?

実は母への手紙に、「独り星を眺めています」と書いていたために、私の事に敏感な母に大変心配をかけたようです。
母から国際電話をもらいましたが、母は飛んで行きたいのをこらえていたそうです。
でも、この時もバレエが嫌になったり、辞めて帰りたくなった訳ではありません。
ただ、体調のコントロールに苦労していたり、推薦いただいたチャンスを怪我が原因で逃したことで精神的に辛かった時期ではあります。
母からの手紙では「何のためのカナダ留学なの」と叱咤されました。

――留学を通じて学んだ事、何か変わった事はありますか?

カナダにいる間にオープンな性格になったことでしょうか。
もともとオープンでマイペースな性格だったのですが、中学生の頃から物静かで自分の殻に閉じ籠るようになっていました。
バレエは万国共通のものだし特別な違いはありませんが、どこか一人ひとりが独立した気持ちを持っているというのか・・例えば皆で共通の演技をするからと言って皆が仲良しグループのような感じではありません。
当然、競争の世界でしたが余計な干渉もしないし、感情の衝突も無かったと思います。

――コンクールや舞台などでは活躍されたようですね。

留学中にロイヤルメソッドの資格を最高得点で取得しました。
メソッドとは一つの流派のようなものです。
カナダのインターナショナルコンクールでソロ、ドゥオ共に2位を受賞しました。
それからバレエ留学というと、レッスンやコンクールづくめの印象を持たれるかも知れませんが、スクールショーと言って学校内で生徒さんに演技を披露したこともあれば、中国への遠征ではメンバーに抜擢され、なんと温家宝元首相の前で演技するという貴重な機会にも恵まれました。



構築 ~帰国後について

――帰国後は指導者としての道を進まれておられますがどのようないきさつからでしょうか。

香川県に戻りすぐに幾つか知人のスタジオでアシスタントとして指導の経験を積んだことでしょうか。
カナダ留学中に踊りのうまくいかない同僚を見ているうちにどこが悪いのか、どこを直せば上手く行くのかを瞬時に見抜くことができました。
その同僚からも「教えるのが上手!」と喜んでもらえました。
 ロイヤル・アカデミー・オブ・ダンス(RAD)はプロとして活躍を目指す方はもちろんのこと、指導者にとっても大切な資格を留学中に修得しました。
また、舞台での振付を考えるのが好きで振付師に憧れた事もあります。
とにかく子供たちが上達する姿をみると嬉しくてたまらなかった。
そして、私にとって指導者としての舞台であるセントラル・バレエステージのオープンが2011年、もちろん私が愛する香川で開設するつもりでした。

――初めて生徒さんを持ったときの心境はいかがでしたか。

最初は緊張していたかもしれません。
指導経験があったといってもアシスタントとして、先生が道筋を決められた中でしたので・・。
生徒さんの中には基礎がしっかり固まっていないうちに踊ることを始めた為に、よくスポーツで言われるような悪いクセがついている子もいて、そこを修正する事から始めなければならないケースもありました。
緊張したり不安な気持ちで指導するとそれは生徒さんにも伝わるものです。
今であれば自信を持って、ここをこうしてああすれば、と即座に対処方法をすぐに見出せますけどね。 


愛・感謝 ~現在のこと

――現在はママでもあるわけですが、指導者として変化したことはありますか。

指導者として生徒には愛情を注いできましたが、自分の子が生まれ、一層感じることは、親御様がどのようなお気持ちでお子さんを私に預けて下さるのか、わが子の大切な時間をここに託して下さることの重みです。

――生徒さんお一人おひとりへの思いも増す訳ですね。

ええ。バレエは何歳からでも始められるのですが、長く続けるには困難があることもまた現実です。
ある生徒さんが簡単にこなせることでも、どうしても出来ない生徒さんもいる。
でも、時間をかけて練習すれば多くの生徒さんはその壁を乗り越えられます。
様々なテクニックや表現を習得し、大きな壁を乗り越えることで初めて見える景色がある。自由に踊る自分自身です。
この楽しさを一人でも多くの子供たちに経験させてあげたいという気持ちでいっぱいです。

――お子さんが生まれ、主婦としても指導者としても多忙を極める毎日だと思いますが
時間管理なども大変ですね。


時間配分には気をつけています。
子供が生まれてからは授乳の時間や睡眠の時間を細かく記録し、可能な範囲で子供中心にタイムスケジュールを立てるようにしています。
それでもすべてが一人でこなせるものではなく、母に子守をお願いすることもあれば、夜遅くまで指導がある時には夫が子守をしてくれます。
家族への感謝は尽きません。

育む鳳雛 ~今後の目標

――今後の展望や目標について教えてください。

指導については、よりクオリティの高いものを提供したいので私自身も表現者であり続けることと、解剖学やトレーニングの講習会などに参加しながら常にレベルアップを心掛けています。
香川県で指導を始めたのは、私の生まれ育ったこの地で、子供たちにバレエを踊る喜びを知ってもらいたかったからです。
今後もこの、セントラル・バレエステージから羽ばたく子が増える事を願ってやみません。

次回の発表会は5回目で記念公演となるよう考えております。
阿波踊りとのコラボレーションも企画しており、ゲストも招いたり特別なものにするつもりです。
今後も様々なジャンルとのコラボレーションなどにも挑戦して行きたいと思います。

--川西先生の活動と生徒さんの活躍に期待しております。本日はありがとうございました。


編集後記

川西先生のお母様からもお話をいただきました。
川西先生のお母様からもお話をいただきました。
一般的にコンクールや発表会など、わが子が晴れの舞台に臨むとき、親御さんはどのような心境なのだろうか。
本人以上に緊張しながら応援する姿を想像する。
川西先生とお母様からお聞きするお話、様々な記録などを拝見すると、日常からのサポートのみならず、コンクールの観客席にいながらも様々な分析を怠らなかったことがよく解る。
僅かでも我が子のプラスになれば、という強い思いと母子共々に胸に抱く向上心のようなものが伝わってくる。

バレエに限らずスケート、芸能活動など本人が幼いうちから取り組む事柄は少なくない。
保護者の責任として協力せざるを得ない事柄を除いたとしても、例えば専属のマネージャーとして或いはコーチとして更には、栄養士としての一面も有るのかもしれない。

その後の留学、帰国後は指導者として飛躍する川西先生とサポートを続けるお母様とのエピソードを伺うにつれ、母子の二人三脚の側面を強く感じる。
また、夜間のレッスンを持つ川西先生にとってはご主人の支えも活躍の源泉であろう。

この度、川西先生のもとへ取材で訪れた際にも写真や資料等をお持ち下さり、少しでもインタビューの役に立てば、とのお母様のご配慮には改めて御礼申し上げたい。

取材の後、まだ小さな愛娘を愛おしそうに抱いて見送って下さる先生の姿は、まだ幼い頃の先生を深く慈しむお母様の姿を想像させた。

源九郎
 
セントラル・バレエステージ
URL:http://www.central-ballet-stage.com
取材担当: 写真 まっちゃん  
       文  源九郎

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